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Podcast: 底辺文化系トークラジオ「二九歳までの地図」
Episode:

【参考資料】第一二三回 【推しアルバム回#1】「BUMP OF CHICKEN『RAY』について」

Category: TV & Film
Duration: 00:00:00
Publish Date: 2018-05-04 20:18:17
Description: バンプサムネ.jpg
BUMP OF CHICKEN論

1999年
「FLAME VEIN」
描かれているのは「生」への情動と、その原動力となる「夢」に対しての思
いであり、同時に自分を他者として対話するような手法も多用している。
何より、ストーリテリング主体で生活感ではなくあくまで「物語」に特化し
た独特の歌詞をバンドサウンドでやるのは当時としては先鋭的だった。
すべて手書きでびっしり書き込まれた歌詞カードの凄まじい熱量。
「ガラスのブルース」→「ガラスの眼をした猫は歌うよ」から始まり「ああ 僕
はいつも生きているよ」というサビに繋がる。
「くだらない唄」→「明日僕らは大人になるから」というフレーズのある、ま
だ少年だった頃から大人になる。
「ノーヒットノーラン」→夢の舞台に立つことのプレッシャー、自分との対話、
等身大の葛藤。
「とっておきの唄」→バンプの楽曲で唯一のラブソング。
藤原基央自身が高校を中退し、上京してきて、ほぼ無一文、住所不定でストリ
ートミュージシャンをやりながら友人宅を転々としていた。
まともな大人になっていく周りと、歌を歌うことしかできないまま生きている
自分の対比でもある?
テーマは「生きることは夢を追うこと」

2000年
「LIVING DEAD」
アルバム全体の各楽曲を「8つの絵本」になぞらえ、それを渡す人物とのやり
とりを最初と最後につける、コンセプチュアルで「はじまり」と「おわり」を
意識したアルバム構成はこの後しばらく続く。
デビュー作のストーリーテリングをさらに発展させ、同時に前作のやや青臭
かった視点がひとつ大人びた視点に入り、シンプルな「愛」を歌った「とって
おきの唄」に対して「最愛の人との別れ」を歌った「リリィ」だったり、未来
への期待や不安を歌った「くだらない唄」に対して続編の「続・くだらない唄」
では選択への後悔や大人になってしまった自分を描いている。
「ランプ」→自分自身との対話の延長。「夢や理想 愛 安心の類 それを手に
する力が情熱」

2002年
「jupiter」
2001年デビューシングル「ダイヤモンド」→メッセージ性の強い「ダイヤモ
ンド」を表題曲に、「ラフメイカー」が収録されている。ラフメイカーはストー
リーテリングの極致。さらにこの時点で「ドア」と「壁」のモチーフが出てい
る。「メッセージ性」と「物語調」の両輪が垣間見える。
2001年に「天体観測」というメガヒット曲を生み出した。ストーリーテリン
グはさらに深まっており、サウンド的にもギターを重ねて宇宙的な(?)BUMP
OF CHICKENらしいサウンドというものを徐々に確立していっている。「自分自
身との対話」「自己内省」の世界観が徐々に深まっている。
「天体観測」も実は自分自身との対話の曲のようである。
「Title of mine」は書いた本人が後悔するくらいの自己内省。「人に触れていたい」
と歌い、「その手に触れて いつか離れる時が来るのが怖かった」という。
あるいは自分が歌う意味を「メロディーフラッグ」で「旗」に見立てて、誰か
の目印になるように一人で振っているようなイメージとして描いている。
「他者」も含めてほぼ自己内省的な世界。
(時間あったら)
ゆうたくんとの「キャッチボール」論争。→コミュニケーションをキャッチ
ボールにたとえ、相手の想いを受け止めれるか、受け止めきれないこと。声が
遠くなると「コエ」は近くなる。

2004年
「ユグドラシル」
ストーリーテリング歌詞の集大成のようなアルバム。歌詞カードを物語調に
しており、物語的にも楽曲的にもほぼ完成形。「乗車権」「ギルド」「車輪の唄」
「スノースマイル」など。また、過去の楽曲のモチーフを散りばめた「fire sign」
など。
「asgard」と「midgard」という全く同じフレーズの曲のマイクの位置が遠いか
近いかでサンドイッチされている。
一方、「同じドアをくぐれたら」では「手に入れるために捨てるんだ」と歌っ
ていたり、「出会ったら別れる」ということと「人に触れる」ことへの畏れが徐々
に深まっている。
「太陽」ではあまりにも強い光として象徴している「何か」を描き始めている。
「他者」に向けられた言葉や思い、温度を恐れていて、ドアノブが壊れかけて
いるドアはこの後「プレゼント」という楽曲で「壁に囲まれた部屋に、壁だけ
でいいところにわざわざ扉を作った」というフレーズがあることから、他者に
通じる心のことだと思われる。
そのドアノブが壊れかけているのは、他者に触れることが怖くてドアを開け
ていないことでその扉すら開けられなくなりそうになっている。結論は「でれ
たら最後もう戻れはしない」。一度他者に触れたら元には戻れない。
そして最後、「ロストマン」。作詞に9ヶ月を要したという超大作。これまでの、
そして現在に至るまでのバンプの歌詞はほぼこの曲の中にエッセンスを見出せ
るレベルであり、本人が語っている通りでかい曲。実際、最初に聴いた中学生
当時の自分には理解が全くできなかった。
歌詞は喪失を歌っている。世間では「自分との対話」説が有力だが、寧ろこ
れは他者に向いていると思う。誰かに触れることを恐れている人が、誰かに触
れてみた。そしたらその人はやっぱりいなくなった。
開いているのは「夢の設計図」であり、やっぱり歩いていくための指針は「夢」
でもある。その過程で他者と別れた喪失感。
うがった見方をするなら、夢を追う過程で起こる別れはやっぱり多かったの
では。
ちなみにのちの楽曲で絵の名前は「思い出」といっているのに通じる「記念
撮影」などがあるし、「宝石になった日」の「増えていく君の知らない世界 増
えていく君を知らない世界 君の知ってる僕は 会いたいよ」というフレーズ
と「ロストマン」の「君を忘れたこの世界を 愛せたときは会いにいくよ」が
通じ合う。

2007年
「orbital period」
「宇宙的」サウンドの完成形。ロックバンドとはほぼ言えないレベル。歌詞
カードが一冊の絵本になっている。
「メーデー」は「人の心」を「水たまり」にたとえ、そこに潜っていく=人
の心の奥底に触れようとすることを歌っている。明らかに他者に触れることに
完全に意識的になった歌詞で、触れ方を模索している。
才能なんて別にないけど夢を追うことの感情をむき出しにして歌った「才悩
人応援歌」といった「夢」についての楽曲。
「ひとりごと」では「優しさ」のありかを「人と人との間にだけある」と悩
んだりする。同時に「僕ちょっと考えすぎ」とも。
「ハンマーソングと痛みの塔」で「痛み」について唄っていて、このあと重
要になってくる自分だけの痛み、というものを意識している。同時に、共有で
きないからといって一人で閉じこもることの否定でもある。
「時空かくれんぼ」は、自分の心の中、あいての心の中でお互いに逃げたり
隠れたりすることを「かくれんぼ」になぞらえている。「相手が心を見せてくれ
た瞬間にうまく答えられなかった」ことが痛みとしてよく出て来る。
「飴玉の唄」もやはり相手に触れることの恐怖。「見えなければ 死ななけれ
ば だけどそんなの君じゃないよ」「離れたくないな」という歌詞。ほぼ究極形。
相手がいる限り離れるし死んでしまう。同時に飴玉をひとつ貰うようなことが
人とのつながりの中で喜びでもあったりする(から悩む)

2010年
「COSMONAUT」
ほんとならこのアルバムでやったって構わない。
30歳をまたいで作られたアルバム。だからなのか、個人的な過去への言及も
多く、生活の実感もこれまでの動き出し、でもどう動き出したらいいのかわか
らない、とかムズムズした感じよりも、どうしようもないことが増えていくこ
とへの思い。「健康な体があればいい」から始まる「HAPPY」など。
前作までで一周した悩みに対してのアンサー。「R.I.P.」「魔法の料理」は過去
(漠然とした昔の自分、ではなく、幼少期の自分)に対して語りかけるという
構造。同時に「そこに君がいなかったこと そこに僕がいなかったこと」など、
共有できていない思い出は取り戻せない、そしてだからこそ共有できている一
瞬の輝き、というものを手に入れる。
『バンド』という軸、『リスナー』という軸。
「地球で一番幸せだと思った あの日の僕に君を見せたい」と歌う。「期待以上
のものに出会うよ」と歌う。あの地点から見て、今は想像以上だ。予想だにし
ない苦しみもあるけど、同時に喜びもある。それは過去の自分が考えもしなか
ったようなものである。過去や未来という時間軸から見える「今」の尊さ。
明らかに強くなっている。
「魔法の料理」では「その謎は僕より大きい 君が解くのかな」と歌ってお
り、未来にも向かっている。
「宇宙飛行士への手紙」はすでに出会えない遠くにいる人=宇宙飛行士とし
て、一瞬の共有した思い出を「稲妻」に象徴して歌っており、この後度々出て
来る。
「過去」「現在」「未来」
個人的な記憶をベースにして歌うことで複雑化していた歌詞はシンプルにな
り、同時に整理される。
(予測)
夢を諦めてどうしようもなくなってしまった友人とかがいたのではないか。
アルバム後半の楽曲の内容が自分自身が歌う対象に対しての思いになっている。
(時間あれば)
「HAPPY」は藤原基央ロジック全開の曲。「悲しみが消えるというなら 喜びだ
ってそういうものだろう」と、安易な慰め言葉に対してのカウンター。「終わら
せる勇気があるなら 続きを選ぶ恐怖にも勝てる」と続き、「続きを進む恐怖の
途中 続きがくれる勇気にも出会う」そして「消えない悲しみがあるなら 生
き続ける意味だってあるだろう」と、悲しみも喜びも消えてしまうもの、とい
う悲しさから、それでも消えない悲しみもある、なら消えない喜びもあるかも、
だったら生き続ける意味もある。

2014年
「RAY」
バンプ的テーマの最終到達地点。
「あなた」は自分の中にいて、その人は笑っている。自分も相手の中でそう
あってほしい。かけがえのない「今」は「思い出」になって、相手の心の中に、
自分の心の中に刻まれ続ける。その「今」を紡ぎ続けることが「他者」との触
れ合いである。
「夢」を諦めなければならない瞬間を「黄金の覚悟」と言い切る「firefly」が
ある。それを追いかけていた欲望は消えない。
小さな種火を残し、その火だけは消しちゃいけない。
種火さえあれば また燃え上がる。
チャールズ・ブコウスキー (米国の作家)
「ray」の歌詞では「大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない」と出て
来る。「HAPPY」の「消えない悲しみ」のくだりを思い出せる。
rayの意味は光芒、光の筋。「太陽」からずっと他者を光にたとえ、或いは思い
出を「稲妻」にたとえてきた。その光の筋が幾筋も伸びているイメージ。
「◯×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて 確かめる間も無い程 生き
るのは最高だ」
バンプファンの間でも大きく解釈や評価が分かれたフレーズ。しかし、イー
ストウッドの「パリ行き」と同じように、「誰」が言っているのかが重要。藤原
基央が「生きるのは最高だ」と言い切る、そこにたどり着くための旅はこれま
での全ての楽曲に詰まっている。
複雑な内容だけどストレートになってきた言葉選びのおかげで飲み込みやす
い歌詞で、曲調もすっきりしたギターロックを基調としたすっくりした音が増
えた。
これまで歌詞を書くのにとにかく時間がかかっていたようだが、「white note」
では「歌詞が書けない」こと自体を歌にしてジョークめかしてしまう。
一方で、「ラストワン」など変わろうとした自分、変われなかった自分にも歌
う。自分との対話は継続しつつ。
別れは必ず来る。だけど出会いも必ず来る。かつて出会った頃と変わらない
けど変わっている自分がいる。何かを経験している自分がいて、心の中にはか
つて笑いあった自分や誰かがいる。
一曲の中でめまぐるしく「出会う」ことと「別れる」こと、そして「別れた」
としてもまだ「そこにいる」ことを横断する歌詞は、これまでの全ての物語と
前提を踏まえることでほとんど感覚的なレベルで訴えかけるようになる。
藤原基央の歌詞には「否定語」が非常に多い。否定と肯定を繰り返すことで
肯定の仕方を模索する。
「morning glow」→「いくつのさよならと出会っても はじめまして とは離れ
ないよ」「ずっと一緒だと思ってた人とは ずっと別々だったと知る 仲良しだ
った そうでもなかった 万感の思いで手を振る」
「トーチ」→「呼びかけてほしい 僕の中 君のいた場所から」「伝えたかった
思いは時間をかけて 言葉になったけど もう言えないから」「動かなきゃきっ
と君に会えない 会いたい」
藤原基央の(特に幼少期の)葛藤は「言葉」が万能ではない、或いは思いを伝
えるのに言葉が追いつかないもどかしさ。
アルバムの最後の2曲
「(please)forgive」→「あなたを乗せた飛行機が 私の行きたい場所まで」誰か
と離れることの肯定。相手が離れることの肯定。「離れたくない」と唄っていた
バンプが、別れることすら認めるということ。
「グッドラック」→「君がいることを 寂しさから教えてもらった」「君の生き
る明日が好き その時隣にいなくても 言ったでしょう 言えるんだよ いつ
もひとりじゃなかった」
別れてしまったとしても、それでも相手の行く先を肯定する。
全方位に悩んで全方位を一度否定して、それから肯定してを繰り返してきた。
(以下過去のレビューの引用)
良いか悪いかはそれぞれの価値観に任せるとして、少なくとも、バンプは変
わった。
ライブでニコニコと笑顔を見せるようになり、出さないと公言していたベス
トアルバムを出し、これまで以上に積極的なタイアップをし、初音ミクとさえ
コラボしてみせるようになった。それらの事実が示すのは、バンドの風通しの
良さと、フロントマン藤原自身の変化だろう。
自己内省的な歌詞が多かったかつての作風から、「他者」という存在に恐る恐
る歩み寄るような「orbital period」を発表した。他人に触れること、夢を追うこ
と。当時(もう7年も前!)の歌詞には明らかに怯えがあった。他人に触れれば
別れる時がくる。
『飴玉の唄』で「離れたくない」と叫び、『プラネタリウム』で夢に触れてし
まったことに「やめとけばよかった」と唄っていた。
「COSUMONAUT」では明らかに強くなっていた。バンドという軸。リスナ
ーという軸。その関係性と、過去と未来という時間軸から見える「今」の尊さ。
彼らの唄は、そういうものをひとつひとつ獲得していった。バンド名の示す
「弱者」は、少しずつ強くなった。
そして、今、「RAY」である。
今まで獲得したものが、より確かなものとして確信を持って唄になっている
という印象だった。
自分と違う場所にいる「あなた」に対して、自分の中の思い出として存在し
て輝いている「あなた」を伝える、という構図。
随分と複雑な内容の歌詞ではあるが、年齢を重ねて研ぎすまされた良い意味
で飾り気のない「言葉」と、今までにないほど軽やかな曲調によって、聞き辛
さは全く感じないのは流石。
いちリスナーとして、バンプの楽曲に心から打ち震えて衝撃を受けるような
ことは、もうなくなった。バンプに限らず、あらゆる楽曲に対して。
歌詞の中でも度々出てくるが、大人になって感動が鈍っていく自分を思い知
らされる。
バンプに初めて出会った中学時代から10年以上経って、社会人になった。い
つのまにかこんなに遠くまで来てしまった自分の思いと、「RAY」に収録されて
いる14曲は共鳴する。
変わろうとした自分、変われなかった自分。夢を追っていた自分、夢を諦め
た自分。
毎日一緒にいた友達のいったい何人が今でも友人だろうか?
「どんな今を生きていますか 好きだった唄はまだ聴こえますか」
バンプを好きな人、これから好きになるかもしれない人、かつて好きだった
人、過去、現在、未来、そのすべてに、等しく彼らはメッセージを送る。
サウンドは研ぎすまされて、シンプルになった。これまで以上にポップで現
代的な楽曲の数々は、今までのバンプのアルバム曲の内省的なイメージに惹か
れたリスナーには、ちょっとした違和感を持って迎えられるかもしれない。
だけど、確信を持って言えるのは、「今」のバンプが奏でる楽曲は、間違いな
くかつての、あるいはこれからの、そして今のリスナーにどこかで届くという
こと。
かつての怯えていたバンプではない。今のバンプは強い。確信を持ってお別
れができる。
なんせ、『white note』みたいな楽曲を唄えるようになったのだ。「書けない」
ことまで唄にできるようになった風通しの良さが、いちファンとして本当に頼
もしい。
音は変わったし、唄い方も、歌詞の書き方も変わった。それでも、今僕たち
が聴いているのは、力強くて繊細な、僕たちが好きだったバンプの最新型だ。
毎度のことながら(本当に毎度のことだ)賛否両論あるだろう。ファンをや
めると宣言する人も、今回もやっぱりいるだろう。
それでも、敢えて断言しよう。今回も、やっぱり最高傑作だった。
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