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『少年倶楽部(昭和7年11月号)帝国陸軍号』(担当:ななめ)
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【訂正】 第二次世界大戦について、「日本とロシアは直接は戦っていない」とななめが発言していますが、これは誤りです。
----- 目次 1.『少年倶楽部』とは 2.1932年の日本 3.『少年倶楽部』を読んでみよう 3-1.表紙と裏表紙 3-2.広告 3-3.漫画、小説、特集 4.まとめ -----
1.『少年倶楽部』とは ・大日本雄弁会(現在の講談社)刊行 ・1914(大正3)年~1962(昭和37)年まで、計611冊発行 ・田川水泡「のらくろ」や島田啓三「冒険ダン吉」、江戸川乱歩「少年探偵団」「怪人二十面相」などが連載されていた少年誌 ・対象年齢は、今でいう小学校高学年から中学生まで
2.1932(昭和7)年の日本 ・政権が軍部の暴走を止められず、政治が軍に引きずられるようになり始めた頃 ・世界恐慌から続く不景気と天候不良による不作で、日本経済が危機的状況にあった頃
1932年の出来事 ①満州国建国(1932年) ・3月1日 関東軍が満州全土をほぼ占領し、満州国樹立。 国家元首として愛新覚羅溥儀を据えた傀儡政権だった。 ・3月12日 犬養毅内閣は、「満蒙は中国本土から分離独立した政権の統治支配地域であり、逐次、国家としての実質が備わるよう誘導する」と閣議決定した。
翌1933年には、満州事変が理由で国際連盟を脱退している。
②五.一五事件 海軍の青年将校が武装し、首相官邸にいた犬養毅首相を銃殺した。 次の首相選びは難航。昭和天皇の命を受けた西園寺公望は、軍部を黙らせるためにも穏健派の元海軍大将・斎藤実を推薦する。斎藤実は挙国一致内閣を組織し、これにて政党内閣が崩壊した。
③不景気 世界恐慌→豊作貧乏(1930年)→不作 東北では少女たちが売り飛ばされ、夜逃げ・一家心中・行き倒れが連日報道された。 大学の大衆化もあいまって、「大学は出たけれど」が流行語になるほど大学生の就職率が低迷した。 1930年に東京の大学を卒業した就職者は53.8パーセント。
3.少年倶楽部を読んでみよう 3-1.表紙と裏表紙 表紙に描かれているのは、当時の大日本帝国陸軍元帥・閑院宮戴仁親王殿下。 日清戦争、日露戦争にも従軍し、日清戦争では伝令将校として弾雨を冒して任務を全うして「宮様の伝令使」のエピソードを残した。 「髭の参謀総長」と呼ばれた皇族軍人のひとり。
3-2.広告 英語、勉強・進学、就職に関する広告が目立つ。 少年航空兵養成講座も多い。
3-3.漫画、小説、特集 特集 →ばりばりの軍国主義。 陸軍についてかなり詳しく特集。
小説や読み物 →外国人が主人公だったり、外国の逸話を持ってきていたりと案外グローバル。 ・『大奇術師と幽霊別荘の怪人』(阿部徳蔵) イングランドのスタッフォードが舞台。 ・『青空に歌ふ』(野村愛正) 主人公格の潔少年がハーフ。 ・『一枚のシャツ』 アメリカ合衆国大統領グラントの逸話。
4.まとめ これを読んでいたら軍国少年になるし、軍国主義に染まるのも当然だな、という内容。 主義主張はともかくとして、読み物は今読んでもかなり面白い。 内容にも広告にも、当時の社会の様子がありありと表れている。


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