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Podcast: ぼやき牧師/富田正樹@iChurch.me: 三十番地キリスト教会
Episode:

【生まれてこなければと思ったけれど】2024年7月28日(日)徳島北教会オンライン礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹

Category: Religion & Spirituality
Duration: 00:24:00
Publish Date: 2024-07-28 11:46:17
Description:

#オンライン礼拝 #徳島北教会 #非出生主義 #救い

聖書の引用……旧約聖書・コヘレトの言葉9章7-10節(あなたのパンとぶどう酒を喜べ。愛する妻と空しい人生を楽しめ)

メッセージ「生まれてこなければと思ったけれど」


【メッセージの要旨】

 皆さんは、「生まれてこなければよかった」、「生まれなかったほうがよかった」、「こんな人生になるなんて」と思ったことはありますでしょうか。

 聖書には、日本語で「罪」と訳されている言葉があり、これは直訳すれば「的外れ」という意味になるそうです。別に「悪いこと」という意味には限りません。「こんなはずじゃなかった人生」も、いわば「本来の私の人生じゃなかった」、つまり「的外れ」だということも言えるのかもしれません。

 では、この後悔の人生から、私を救ってくれるものは何なのでしょうか。

 「救い」というのは、神学者が唱えるような高邁なものであるとは限りません。むしろ、飢えているときにひとかけらのパン、渇いているときの1杯の水があれば、私たちは「救われた」と思えるのではないでしょうか。救いというのは、非常に俗っぽいけれども、私たちが欠けているもの、足りないものを少しでも埋めてくれるものがあれば、それは私たちにとって大きな救いになるのではないでしょうか。

 ですから、救いというのは「この世的」で俗っぽいものなのです。しかし、ぞの俗っぽい小さなものが私たちを救ってくれるのです。

 喉が渇いているとき、1杯の水が与えられたとき、私たちは「生きていてよかった」と思えるのではないでしょうか。そして、一瞬でも「生きていて良かった」と思えたら、それ以上の幸福はないのではないでしょう。

 実に、どんなに苦しい状況にあったとしても、「生きていてよかった」、「生まれてきてよかった」と思えることが、究極の救いなのではないでしょうか。


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