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レント(受難節)に入りました。イエス・キリストが苦しみを受けられたことを覚えて、自らの罪を悔い改めたり、弱点を克服するための努力をしたりといった季節としてキリスト教の暦では定められています。
イエスは何のために苦しみ、なぜ殺されたのでしょうか。
よく、「イエスは人間の罪に与えられるべき罰を、身代わりに受けてくださったのだ」ということを言うクリスチャンの方がいらっしゃいます。しかし、その考えは現代の神学からは疑問の声も上がっているということを申し上げておきたいと思います。
そもそも私たちが信じる神様は、「お前たちの罪は赦せない。誰かいけにえを出せ」というようなことを人間に要求する神様でしょうか? そして、いけにえの代わりに我が子に罰を負わせようとするような虐待的な父なる神なのでしょうか?
そうではありません。イエスを十字架にかけたことが私たちの罪なのです。けれども、イエスはその仕打ちから逃げることなく、自ら痛み苦しむことで、私たちの人生の苦難で強張ってしまった魂を溶かして、柔らかく癒してくれたのです。
神が罰を必要としているという考え方が、私たちの社会からスケープ・ゴートを生み出す過ちを承認し、温存してしまうことにつながっています。スケープ・ゴートというのは、あってはならない、克服しなければならない風習なのです。
私たちは、自ら痛み苦しむことによって私たちの苦痛を一緒に引き受け、癒してくださったイエスに感謝しつつ、しかしイエスをそのような目に合わせてしまったことを悔い改めつつ、このレントの時を私たちの世の中を変えるために、意味のあるものにしたいと思います。 |