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聖書……マタイによる福音書5章1-12節(幸い)
イエスの「山上の説教」と呼ばれているマタイ福音書のなかにある「幸い」についての一連の語りは、ルカ福音書にも収められています。ルカの方が実際のイエスの言葉に近かったのではないかと言われています。
ルカ版では「貧しい者は幸いだ」と言っていますが、マタイ版では「心の貧しい者は幸いだ」と言っています。当初、本当の貧困者と共に生きて「貧しい者、幸いなり」と叫んだイエスの言葉に対して、40年以上後のマタイは、既にある程度経済力のある者もメンバーに加わったキリスト教会の中で、少々トゲのあるイエスの言葉を和らげる意図で、「心の」という言葉を付け加えたのかもしれません。
たとえそうであったとしても、マタイ版のこの徳目表のような「幸い」は、確かに真っ当な内容ではありますが、行うのは難しいことです。このような価値観を実現するために生きようとすれば、必ず私たちは世の中から嘲笑され、罵られ、悪口を浴びせられるでしょう。この世は欲望を満たすことの方が人間の本質なのだという前提が浸透してしまっているからです。
このような世の中で、私たちの挫折は既に予想され、イエスも知っていてこのようなことをいっていたのかもしれません。しかし、私たちはこのイエスのような価値観を少しでも実現に近いものにしてゆきたいと思っているのです。 |